信州大学社会基盤研究所 特任准教授
東京大学 先端科学技術研究センター 客員研究員

稲葉 俊郎


Chieさんの絵は、調和の波紋を生み出す源泉

「Chieさんの絵は、調和の波紋を生み出す源泉」

Chieさんの絵画を見て、何を感じるでしょうか?そこに何があるのでしょうか?
そして、我々はなぜ芸術や美を必要とするのでしょうか?


真善美という言葉があります。ほんとうのこと(真)、よいこと(善)、美しいこと(美)、それぞれの概念はとても奥が深く歴史性があり、人間に問いや謎やインスピレーションを与え続けてきました。
真善美をゲートとして、様々な文化や哲学も産まれました。真も善も美もすべて大切なものです。
ただ、真も善も、こだわりすぎると、「わたしの考えが絶対に正しい」「わたしの考えが絶対に善い」として、そこに閉じ込められてしまいます。自己肯定と他者肯定は両立するはずですが、自分だけが正しいと信じ、自分だけが善であることを信じ、とことん誠実を尽くすことで、それが結果的に他者否定を生み、戦争や破滅を生みだした悲劇を私たちは多く経験しています。
だからこそ、人間には真や善だけではなく、そこに調和の場を生み出す力として美が必要なのです。美があるからこそ、争いではない調和や創造の力が産まれます、芸術は、そのことを私たちに静かに教えてくれています。


西洋医学は病気を定義します。病気を否定的なものと考え、逃れよう、戦おうとする学問体系です。それに対して、伝統医学や代替医療は健康を定義します。健康に近づいていこうとする学問体系です。それぞれに一長一短があります。西洋医学は病気の状態にフォーカスし、伝統医学や代替医療は健康の状態にフォーカスするわけです。
芸術が医療の現場と分離しているのは、今は西洋医学の考えだけで満ちているからです。芸術は、調和の場を作ります。だからこそ、今後は、絵画や芸術が医療の分野で真剣にとりあげられていくことになるでしょう。

健康とは調和的な状態のことです。そこに病気があっても障害があっても構いません。そのひとが調和的であれば、それはその人にとって健康なのです。自分のあたま、こころ、からだ、しぜん、というものが調和的であることが大切なことです。 ひとのからだは60兆個の細胞からできていて、調和の力のおかげで1つのからだをつくりあげています。私たちはその60兆の細胞の調和の力を感じることは少ないのですが、不調和な状態になるときに、はじめてその見えない力を意識できます。

外なる調和の力は内なる調和の力と共鳴します。
わたしたちは、内なる調和の力を取り戻すために、外なる調和の力を必要とするのです。そのために、人間は芸術という文化的営みを生んだのだと思います。


芸術は、ひとのたましいの深い場所からの根源的な欲求でありプロセスです。たましいはつかむものではなく、つかまれるものです。芸術は、たましいをつかまれた人が、たましいそのものの表現として生み出す総合的な営みです。ChieさんのArtも、そういう内なるたましいの外なる表現でもあります。

わたしたちは表面を覆う皮膚細胞を含め、外からあらゆるものを感じていますが、あたまですべてを知覚することはできません。感覚と知覚は違います。ですから、あたまでわからない(知覚できない)からと言って、からだが感じていないわけではないのです。むしろ、からだが感じている豊かな世界を、あたまが知覚できていないことが多いのです。

ChieさんのArtに触れると、最初は、あたまでは何も知覚できないかもしれません。ただ、からだの細胞は何かを感じています。からだが感じている何かにそっと耳を傾け、感じている自分のからだと対話してみてください。芸術はそういう内なる対話のきっかけにもなります。

光は、私たちがイメージとして知覚できるものの中で、もっとも根源的なものです。イメージの原始的なかたちです。光のアートを通して、原始的なイメージの世界を追体験することができます。あたまで知覚できなくても、からだで感じ、体感してみてください。そこから、自分の60兆個の細胞との内なる対話が始まります。

内なる対話は内なる調和の力を生みます。そして、それは外なる対話として、外なる調和の力として、この世界へ開かれていき、調和の波紋を生み出し続けます。
調和の波紋を生み出す源泉は、Chieさんの絵画そのものですが、同時にそれを受け取ったあなたそのものでもあるのです。
そうして、調和の波紋は、宇宙創造の瞬間からいまこの瞬間にまで、つたわってきているのです。そんな宇宙的な営みに、みんなで参加しましょう。そういう呼びかけを、ChieさんのArtは静かに語りかけているのではないでしょうか。